妊活再開 2ヶ月目
妊活再開 2ヶ月目
妊娠はそんなに簡単にできるとは思ってもいないが、やはり妊娠できるのか?できないのか?と不安になる日々は続いてしまう…。
そんな不安を消してくれるかもしれいないと購入したのが、婦人体温計。
朝、起床して起き上がる前に5分ほど口の中に咥えて体温を測るという簡単な作業で基礎体温を測り、排卵日がわかるという。
もちろん1日、2日で排卵日がわかるということはないので、1、2ヶ月計測し、自分の基礎体温を把握しなければいけません…
なぜ婦人体温計を選んだかというと、旦那の勧めだからである…
私自身はズボラでめんどくさがり屋なので正直めんどくさいと思いながらも、旦那が進めてくれた妊活頑張っていますのアピールをするためと、妊娠のための手掛かりになればと思い購入しました。
1ヶ月計測し、いざ排卵日
どうやら私はあまり体温の変化がわからないタイプのようでした…
一応 タイミングはとっていました。
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結果は妊娠できず。
基礎体温は個人差がありわかりにくい人もいるとのことで、仕方ありません…
妊娠に向け新たな妊活グッツを取り入れて妊活3ヶ月目に望みます。
妊活再開 1ヶ月目
ようやく再開した妊活1ヶ月目
待ちに待った妊活が再開出るようになりました。流産手術後から排卵を3回見送りました。妊娠することができたら、4月生まれになる予定です。
春生まれは育てやすいといいますよね。
・月齢が高いと将来的に成長が早い
・肌着だけでも過ごせる、洗濯物が乾きやすいので服も少量で良い
・保育園に通うまで1年ゆったりと過ごせる
・誕生日を祝ってもらえる
他にもいろいろとあるとは思いますが、最後の誕生日は私が2月生まれで、小学校等で「おめでとう」と声をかけてもらったことがほとんどないのです…。友達が少なかったというのもあるかもしれませんが、夏生まれぐらいまでの子は皆んなにお祝いの言葉をかけてもらっていることが多かったように思います。4月のクラス替えで、誕生日を言い合うが夏休みを過ぎると、忘れる…。4月に話したことを2月まで覚えているわけがない!!
祝って欲しかったというわけではないが少し寂しいというか、悲しいというか、複雑な気持ちを当時は感じていました…。
そんな当時の自分の複雑な気持ちを子どもにはさせたくないという思いもあり、春生まれ!!妊活頑張ろうと思いました!
今まで学んできた妊活に対しての心構えを存分に発揮する時。焦らず、タイミングを複数とる、リラックス、相手の気持ちも尊重する。
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結果は妊娠できず。
まあ、そんなにうまくはいきませんよね。
前回は半年かかったので、今回もそのくらいのつもりでゆったりと、2ヶ月目に挑戦です。
新型コロナウイルス感染
とうとう感染してしまいました
職場(保育園)の園児がコロナウイルスに感染したことを受け、関わりを持っていた私はPCR検査を受けることに。
翌日17時ごろ、検査結果を知らせる電話がなりました。
「陽性反応が出ました。」
私は状況を理解するのに時間がかかってしまいました。普段から健康体の私が、感染対策もしていたつもりだし、職場とスーパー等しか出歩きもしていない…なぜだろうと思いましたが、心当たりが1つ。
流産手術後、初めてきた生理で体調を崩していたからコロナウイルスに感染した。
私はこれしかないと思いました。
まさかの流産の副産物…
この頃は若い世代の重症化、無症状でも後遺症、などのニュースが多く放送されている時期でした。私も不安な部分が膨れてしまったり、職場の区切りがよかったこともあり退職することにしました。
陽性反応発覚後の翌日から10 日間のホテル生活が始まりました。
自宅まで保健所の車でお迎えに来てもらいホテルへ。
私は熱や咳もでず、無自覚無症状だったためベットでゴロゴロしたり、映画をみたりとそれなりに暇を潰していましたが、一番苦痛だったのが食事。
朝、昼、夕とまさかの揚げ物。脂のオンパレード弁当だったのです。
なぜ病人(私は元気でしたが)の泊まるホテルで支給されるお弁当が毎食、脂っこい弁当なのか疑問で仕方ありませんでした…
たまたま私が宿泊したホテルではそのようなお弁当だったのかしれませんが苦痛でしたね。
どうにか10 日間を乗り越え無事帰宅することができました。精神的に苦労した新型コロナウイルスでした。
妊活再開したかったができなかった日々
葛藤の1ヶ月
流産手術後の生理があまりにも大変で自分で「体を整えるために妊活はもう1ヶ月お休みする」と旦那にも宣言。心配性の旦那は了承してくれまた。
しかし、、、生理が終わり、排卵予定日が近づいてくると「妊活しなきゃ」という面が強くなってしまいました。もちろん「タイミングとりたい」と言っても「体が心配だからダメだよ」と言われてしまいモヤモヤする日々を過ごしていました。
世間では新型コロナウイルスが蔓延していて、とうとう職場(保育園)の園児が感染してしまったとのこと。
その子と関わりがあった職員がPCR検査を受けることになり、私もクリニックへ行きました。
翌日の17時ごろクリニックから検査結果の電話がなりました。
流産手術(吸引法)術後2ヶ月 生理再開
待ちに待った生理再開
術後、元気に仕事をこなす毎日でしたがいつ生理が再開するのかわからず、心のどこかで不安を抱えながら過ごす日々。
術後36日に生理が再開しました。
安心したとともに、体の不調がきてしまいました。今までは量は多いけれどほとんど生理痛を感じなかった私でしたが、いまだかつてないほどの出血量と腰痛に襲われました。
タンポン+ナプキンで対応していましたが、ものの数時間でどちらも交換しなくてはいけないほど…腰痛は仕事に支障が出るほど。保育士をしている私は立ったり座ったり、子どもを抱っこしたり、中腰になることも多かったので耐えきれず、人生で初めての生理休暇をいただくことになりました。
自力で帰宅することもできず、迎えにきてもらう始末でした…帰宅後も腰痛がひどく、ベットで1日横になっていました。次の日も腰痛がひどく、動くことができませんでした。
生理が3、4日になると腰痛もだいぶ良くなり仕事再開。出血量も減ったものの、タンポン+ナプキンが必須な感じでした。
少しずつ出血も少なくなっていき、いつもより少し長めの9日間で生理が終わりました。
今回の生理が自分の中では異常なものだったのでもう1ヶ月妊活を遅らせ、体の調子を整えることにしました。
流産手術(吸引法)術後1ヶ月
悲しみを乗り越え
流産手術は無事終了し、普段どうりの生活が帰ってきました。
術後1週間後に検査結果を聞くために再度受診しましたが、特に病気や異常はなく、今回の流産は赤ちゃん側の染色体の異常だったのではないかということになりました。
私自身に病気等があったわけではなかったので一安心しました。そして、私は妊娠はできる体なんだと認識できることができ、悲しい体験でしたが、マイナス面だけではなく今後の妊活に対して心の余裕を持ってタイミングが取れるような気がしました。
流産してしまいましたが、「子どもが欲しい」という気持ちは無くならず生理が再開したら妊活もすぐに再開しようと考えていました。
再び生理が始まるのが約1ヶ月から2ヶ月後とのことだったのでそれまではしばらく、体を休め、心を休める期間としました。
流産手術(吸引法)
流産と診断されてからちょうど1ヶ月後
手術の日となりました。
病院の先生によると、
- 長い間お腹にいた事で赤ちゃんが溶けてきてしまっている。
- 子宮口が狭いため排出がうまくできなかった。
とのことでした。
「これ以上、処置が遅れると母体にも影響があったよ」と言われてしまいました。
手術当日、9時ごろ病院へ。
病院へ着くと手術着に着替え、手術するために子宮口を広げるためのスポンジのような物が入れられました。これがとても痛かった…一瞬だったが全身に力が入り、汗が吹き出し、逃げ出してしまいたいくらい。
どうにか乗り切り個室に案内され、ベットに横になり点滴が始まりました。初めての点滴で「腕を動かしたらいけない」緊張してしまったためか腕が少し痺れたような感じに。そこからしばらく一人でベットで横になり、目をつぶったり、映画を見たりゆったりと過ごしました。
12時半頃でいよいよ手術が始まることに。
手術の部屋まで歩き、診察台にのぼり、横になりました。
「麻酔はいりますね」
その言葉のすぐ後から、意識はあるが体が動かなくなり、頭もボーっとしてきて、不思議な感覚に。先生が淡々と
「手術を開始します」
もちろん痛みはなく、あっという間に手術は終わりました。術後30分ほどだっただろうか、しばらくはそのままベットに横になっていました。
看護師さんに声をかけられ意識はあるもののボーっとした頭と体をベットから起こし、自分で歩いて個室に戻りベットに横になりました。
そこからまた1、2時間だっただろうか。ボーっとした頭のまま横になり体を休めることに。その間何度か看護師さんが体調や、出血の具合を確認しにきてくれました。
意識もはっきりし体も十分に動かせるようになり、出血も落ち着いていたため、手術後の確認として経膣エコーをすることに。
先生によると無事に手術は終わり、子宮内も綺麗になったとのことでした。
術後の体の状態が落ち着いていることもあり、日帰りで帰れることになりました。
帰宅ができたのは15時半でしたが、お迎えの車待ちで16時半に病院を後にしました。
かかった費用は約3万円でした。
手術で取り出した、胎盤等は妊娠に関わる病気等が無いか検査にかけられるため、1週間後検査報告の為に再受診することになりました。
長かったようであっというまの1日で「もう赤ちゃんは完全にお腹からいなくなってしまったんだ」と思ったが不思議と悲しくなったりはせず、受け止めることができていた。
1週間後、病気が何も見つからないことを祈りながら1日が幕を閉じていきました。