稽留流産から進行流産
妊娠4ヶ月目の検診で稽留流産と診断されました。
前回の診察が8週だったが、どうやら9週目くらいの大きさでストップしてしまっていたとのこと。よくある「9週目の壁」を超えることができなかったようです。
診断を受けた日は泣き崩れ、次の日は職場に行き報告。すぐに帰宅し、2日間お休みをもらいました。
ふと気がつくと出血が始まっていました。再び病院を受診。進行流産と診断されました。出血が始まると、膣内の不要になった胎盤等を排出しようとするとのことで手術は保留にし、経過観察することにしました。
流産の診断を受けてから3日経ち、気持ちも少し落ち着いてきたところで、再び仕事に行くことに。
妊娠報告をしてしまった、方々にも流産の報告を。自分が悲しい顔をするといけないと思い、あくまでも「自分は現実を受け入れ、前向きになりました」感を出して「流産してしまいました!気持ちは落ち着いてるし、体も大丈夫だけれど、あんまり心配されるとまたネガティブな気持ちになってしまうので、この話はこれでおしまいです!」と話を強制終了することで、表面上は皆んないつも通り仕事をすることができていました。
仕事は保育士。
もちろん赤ちゃんも日常的に目にする仕事だが、保育園に通っている子どもたちは「仕事の対象」としてみているため不思議と悲しみや、虚しさを感じることなく、むしろ久しぶりに会えた子どもたちに安心する自分がいました。
しかし、街を歩いている時にふと見かける赤ちゃんや妊娠、マタニティーマークを見かけるたびに胸が締め付けられるような気持ちになりました。
そんな生活が3週間ほど続きました。
自分の気持ちにも整理がつき、前向きな気持ちになれましたが、出血がタラタラと続いている。出血が続くのがストレスに感じ始め手術をすることにしました。
通院している病院では、膣内を掻き出す掻把法の手術を行なっているそうで、私は膣内を吸引する吸引方の手術を受けるため別の病院に行くことにしました。
別の病院では、待合室に新生児がたくさん、お腹の大きな妊婦がたくさん。
私は目に涙が溜まり、どうしようも無く天井を見上げるばかりでした。
妊娠4ヶ月目
待ちに待った妊娠4ヶ月目
旦那は妊娠したことが嬉しくなり、両親や兄弟に妊娠報告をしてご機嫌で、私も職場の関わりの強い人に妊娠報告をして祝福の声をかけてもらい幸せを噛み締めていました。
つわりはすっかり落ち着いて普段の量のご飯が食べられるようになり、気持ち悪さもほとんどなくなり元気に過ごせるようになってきて一安心。
妊娠アプリでは「お腹が膨らみ始める」との記載があったが自分のお腹はまだ膨らみがわからなかったが、個人差があるからと思いあまり気にしてはいなかった。
いよいよ病院の日。今日は血液検査など、いろいろな検査があるとの事で時間がかかるらしい。
まずはいつも通り診察台に上がり、いつも通り経膣エコーが始まった。「赤ちゃんが見られる」とわくわくしながら画面を見ていました。
「ん?赤ちゃんの姿見えなくない?」
そんなことを思った瞬間、先生方も慌ただしくなった。エコーを左右に大きく動かしたり腹部エコーをしたり。しかし、どれをしても赤ちゃんの姿は私の目には見えなかった。どのくらいの時間だったか、あっと言う間に診察が終わったような気がする。頭が真っ白のまま診察台から降り、先生の話を聞くことに。
「赤ちゃんの心拍が確認できません」
悲しみ、虚しさ、悔しさ、、色々な気持ちが押し寄せてきたが「やっぱり」と言う気持ちで冷静に受け止めることができた。
先生「2週間後にもう一度心拍の再検査です」
私 「生きている可能性があるんですか?」
先生「90%以上の確率で難しいです」
そんな会話をしたり、手術の話を色々と聞いた。
あとはよく覚えていない。
会計を済まし旦那の車が迎えにきてくれた。「時間がかかると言ったが、早かったね」と病院に入ってから出るまでたったの1時間だった。
「流産だって」
口に出したら気持ちが溢れてしまい、涙が止まらなくなってしまった。
帰宅してから2人で抱き合いながらしばらく涙が止まらなかった。
そのあとしばらくどのように過ごしていたのかよく覚えていない。
ふとした瞬間に涙が出て泣き崩れたを繰り返していた気もする。
こうして私の短い妊娠生活が幕を閉じてしまったのだった。
妊娠3ヶ月目
悪阻でちょっと気持ち悪い妊娠3ヶ月目
1日中車酔いをしているような感じで、お腹が空くと気持ち悪くなってしまう日々が続いた。もちろん仕事は朝の7時に電車に乗って、8時間保育して、20時帰宅…元気だった頃でもハードだと思っていた生活がより大変になってしまった…
電車は行きは座れることが多かったが、乗り換えするまで…30分は必ず立っている士官があった。帰りはもちろん1時間ずっと立ち。マタニティーマークを鞄につけていたので、たまに譲ってくれる人もいたが基本はみんな疲れているので寝たふり、みないフリである。…出産したらマタニティーマークの人に率先的に席を譲ってあげようと思いました。
仕事中も気持ち悪くなってきたら、子どもたちに隠れて梅のお菓子を口の中に放り込んでなんとか忍んでいました。それでも体が追いつかず有給を使いながら週4日勤務になるように調整してもらった。本当に妊娠に理解のある職場環境、他職員でありありがたかった。
さぁ待ちに待った病院の日
8週1日。経膣エコーで赤ちゃんの様子を確認。15.5mと少しだけ大きくなり心臓がピコピコと動いていました。
次の検診は1ヶ月後…
長いなーと思いつつもこの日の検診は終了しました。
妊娠2ヶ月目
待ちに待った妊娠生活2ヶ月目
年末年始でゆったりとした気落ちで過ごせたことで無事妊娠することができました。
妊娠検査薬で反応したのは妊娠5周目、妊娠2ヶ月だ。
妊娠が判明してから数日後…少しづつ悪阻のような症状が出できました。少し気持ち悪い程度で、我慢すれば日常生活には支障は出ない程度でした。
病院の受診は6周目(2021.1.28)に行き、無事 心拍を確認することができました。小さな小さな赤ちゃんが自分のお腹の中にいることが不思議と感動を覚えました。
次の検診は2週間後。そこで出産予定日が確定するそうです。
病院までの2週間を過ごす間にも少しづつ体調が変化して、食べ悪阻になっていきました。また、まとまった量を食べるのが難しくなり、量を減らし回数を増やして対応しました。
以前より妊娠を希望していたことを職場に伝えていたということもあり、妊娠報告も喜んでくれました。
2週間後…
2021.9.20が出産予定日になりました。
小さな体で、心臓がピコピコ動いているのを再び感動してしまいました。
次の検診はまた2週間後…
妊活6ヶ月目
前向きな気持ちで妊活6ヶ月目
今までは妊活と共に仕事にストレスにと大変な日が続いていたが、今回の排卵予定日がちょど年末年始にかかっていることもあり、年末休みに向けてウキウキとした気持ちでタイミングも取ることができた。
また、12月27日、長年の夢だった猫を家族に向かい入れることにもなりました。保護猫で生後4ヶ月の姉妹の三毛猫「にに」とサビ柄「なな」年末の仕事を大急ぎで片付けて年末年始は、可愛い猫に夢中で妊活のこともすっかり忘れしああせな気持ちで過ごすことができていた。
…
年始の仕事が始まり、生理開始予定日を3日過ぎても生理が来なかったので「まさかな」と思いながら、旦那に内緒で妊娠検査薬を使用
…
結果は陽性
検査開始10秒もしない間に陽性のラインがはっきりと浮かび上がりました。
喜びもあったが「本当に反応するんだ」「ちゃんとラインが出るんだ」と妊娠検査薬の反応に驚きました。
すぐに旦那にも報告。
すると「ふーん よかった 別に2人でもよかったけどね」
ん?
「別に2人でもよかったけどね」
ん?
何か心に引っかかる言葉を残されたが、追求すると私が傷つくと思い、会話は終了…
本人は「子どもが全てではなく、2人で過ごしているのも好き」という言葉をよく口にしていたので、そのような意味合いで口に出したのは理解できるたが、喜ぶ妻に対して共感の言葉を投げかけて欲しいものだ…と思いました。
この言葉は一生忘れられない言葉になりそうだ。
いろいろとあったが無事、妊娠検査薬で陽性反応が出て、生理や不正出血等も見られていないので、妊娠確定するために病院へ行くことに。
ここからドキドキワクワクな妊娠生活が始まる。
妊活4ヶ月目
相手の気持ちも考えつつ、タイミングを取りつつ駆け引きの妊活4ヶ月目
いよいよ妊活4ヶ月目がスタート。排卵予定日と自分たちの予定とをにらめっこしながら、どこでタイミングを取るか一人で燃えるように考えました。
がしかし、結局のところ その日その日の気持ちや体力でタイミングが取れたり取れなかったりして、ストレスを感じてしまうことに…。
さらに追い討ちをかけるように義理の兄の奥さんが妊娠したとの報告が。「私も妊娠したかったのに」「妊活頑張っているのに」と複雑な気持ちに。
芸能人の妊娠のニュースや街並みで見かける妊婦さんやマタニティーマークを見かけるだけでも、気落ちしてしまうようになっていきました。つまり情緒不安定。
…
結果は妊娠できず。
義務感や作業感でタイミングをとったり、排卵予定日のわかるアプリを見たり、街中で見かける妊娠、妊婦関係をできるだけ視界に入れないようにし、情緒を安定させなくてはと自分に言い聞かせる毎日。
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気負わないように、ゆったりと妊活に臨む
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気持ちを落ち着かせるために出かけたり、美味しいものを食べる
落ち着いた気持ちで妊活5ヶ月目を迎える。